2025年1月27日放送のTBS系「クレイジージャーニー」では、アンティークディーラーの石井陽青氏が登場します。
石井陽青氏は、今回イタリアの巨大骨董市へアンティークを買い付けに行かれます。
紀元前に都市国家エトルリアで伝説の金細工職人と呼ばれたカステラ―ニのサインドピースを見つけ、スタジオは大興奮!!!
だったのですが、筆者は世界歴史に疎く、分からない単語が多く。。。
そこで、気になって調べてみたのがこちらです👇
1. イタリア巨大骨董市の場所はどこ?【クレイジージャーニー】
2. 都市国家エトルリアはどこにあった?【クレイジージャーニー】
興味のある方は一緒に確認していきましょう。
イタリア巨大骨董市の場所はどこ?【クレイジージャーニー】
【骨董市場所】ポルタポルテーゼ(ポルテーゼ門)
【住所】Piazza di Porta Portese, 00153 Roma RM, イタリア
ローマを代表する蚤の市、ポルタポルテーゼは、古くからの歴史と独特の雰囲気が魅力の場所です。毎週日曜日に開催され、地元の人々だけでなく、世界中の観光客も訪れる一大イベントとなっています。
ポルタポルテーゼとは?
ポルタポルテーゼは、ローマ市内の南、トラステヴェレ地区にあるポルテーゼ門付近で行われることから、その名が付けられました。第二次世界大戦後、闇市として始まったのが始まりで、今では1,000以上の露店が並ぶヨーロッパ有数のガレージセールに発展しました。
ポルタポルテーゼの魅力
- 何でも揃う宝探し: 家具、雑貨、古着、書籍、アンティークなど、ありとあらゆるものが売られています。掘り出し物を見つけ出す楽しさは格別です。
- 活気あふれる雰囲気: 多くの出店者と買い物客が行き交い、活気あふれる雰囲気が魅力です。
- ローマの文化に触れる: ポルタポルテーゼは、ローマの人々の生活や文化を垣間見ることができる場所でもあります。
- 交渉の楽しさ: 出店者との値段交渉は、ポルタポルテーゼならではの醍醐味です。
ポルタポルテーゼで注意すること
- スリに注意: 人が多く集まる場所なので、スリに注意が必要です。貴重品はしっかりと管理しましょう。
- 早朝からのスタート: 人気の商品は早々に売れてしまうため、早朝からのスタートがおすすめです。
- 現金の準備: クレジットカードが使えない店が多いので、現金を持っていくと便利です。
- 体力作り: 広大な敷地内を歩き回るため、歩きやすい靴を選び、体力をつけておきましょう。
イタリアその他の超有名巨大骨董市
イタリアには、歴史ある街並みに溶け込むように、魅力的な骨董市がたくさんあります。その中でも特に規模が大きく、宝探しを楽しめる場所として知られているのが、アレッツォで開催される骨董市です。
イタリア最大の骨董市:アレッツォ
アレッツォは、フィレンツェから南へ約80kmほどの場所にある人口96,000人程の美しい街です。
街は、中世の面影を色濃く残しており、赤レンガ造りの建物や、石畳の路地が織りなす風景は、まるでタイムスリップしたかのような感覚を味わわせてくれます。
ルネサンス期を代表する画家、ヴァザーリやピエロ・デラ・フランチェスカゆかりの地としても知られています。
彼らの作品に触れることができる美術館や教会も数多く健在です。
そんなアレッツォで毎月開催される骨董市は、ヨーロッパ最大級と言われています。
アンティーク家具、陶器、絵画など、様々な品々が並び、宝探しを楽しむことができます。
アレッツォのいつ・どこで骨董市は催されているの?
【場所】グランデ広場
【住所】Piazza Grande, 52100 Arezzo AR, イタリア
【開催日】毎月第一日曜日とその前日の土曜日に開催
都市国家エトルリアはどこにあった?【クレイジージャーニー】
エトルリアは、紀元前8世紀頃から紀元前1世紀頃にかけて、イタリア半島中部(現在のトスカーナ地方を中心とした地域)に栄えた都市国家群です。古代ローマの文化に大きな影響を与えたことでも知られています。
上の地図のように、エトルリアは現在のイタリアの中部に位置していました。ティレニア海(地中海の一部)に面しており、海運業も盛んでした。主要な都市としては、ヴェーイ、タルクイニア、ケルヴォーテリなどが挙げられます。
エトルリア文明の特徴
エトルリア文明は、ギリシャ文明やローマ文明とは異なる独自の文化を持っていました。
- 宗教: 死後の世界を重視し、精巧な石棺や地下墓室を造ることが特徴でした。
- 芸術: 金属加工や陶器製作が盛んで、特にテラコッタ製の彫像は特徴的です。
- 建築: 都市計画や排水システムなど、高度な技術を持っていました。
エトルリアとローマ
エトルリアは、ローマの初期に大きな影響を与えました。ローマの王のうち最後の3人はエトルリア人であり、ローマの都市計画や宗教にもエトルリアの影響が見られます。しかし、ローマの共和政期になると、エトルリアはローマに征服され、その文化は徐々にローマ文化に吸収されていきました。
なぜエトルリアは衰退したのか?
エトルリアが衰退した原因は、残念ながらはっきりとは分かっていませんが、以下の要因が考えられています。
- ローマの台頭: ローマの軍事力と勢いが増大し、エトルリアを徐々に圧迫していった。
- 内部の対立: エトルリアは複数の都市国家から成り立っており、内部での対立が激化し、外部からの脅威に対抗できなくなった。
- 自然災害: 地震や火山噴火などの自然災害が、都市や農業に大きな打撃を与えた。
まとめ
エトルリアは、古代イタリア文明の一つの花であり、その文化はローマ文明に大きな影響を与えましたが、ローマの台頭などにより衰退し、歴史の舞台から姿を消しました。
ただ、エトルリアの遺跡や遺物は、今もなお、古代イタリア文明の神秘を私たちに語りかけています。
イタリアローマ巨大骨董市・都市国家エトルリアの場所まとめ
1. イタリア巨大骨董市の場所はイタリア・ローマにあるポルタポルテーゼ(ポルテーゼ門)
2. 都市国家エトルリアは紀元前8世紀頃から紀元前1世紀頃にかけて、イタリア半島中部(現在のトスカーナ地方を中心とした地域)に位置していた。
いかがだったでしょうか?
日本では、こんな骨董品市場が無いかと思いますので、毎週開催されているというのは驚きですよね。
中には、本当にその物の価値が分かっておらず、販売されている方もいらっしゃるかと思いますので、お値打ちのお宝が見つかるのは、アンティークディーラーとしての醍醐味のひとつだと思います。
それでは、最後までお付き合い頂きまして、ありがとうございました。
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