中居正広さんの9000万円スキャンダルが発端となり、フジテレビ側の責任を追及されるという前代未聞の大問題に発展しています。
そんなフジテレビのドンであり“天皇”とも呼ばれているフジサンケイグループ代表である日枝久氏。
日枝久氏抜きにして、フジテレビを語ることは出来ません。
それぐらいの超重要人物であり、実質の権力者です。
現在、フジテレビ社長は港浩一氏が務めておりますが、そのバックには日枝久氏の存在があります。
現在、経営陣一掃するようにと株主からも社員たちからも声が上がっていますが日枝久氏は一切メディアに顔を出さずに、雲隠れ状態です。
メディアに自身が出ることで、世論からの反発を恐れているのだと思われても仕方ないですよね。
ただ、日枝久氏は既に88歳とご高齢です。
とっくに勇退しても良い年齢のはずですが、依然として権力を保持し続けています。
なぜ日枝久氏は辞任(退任)しないのでしょうか?
辞任(退任)せずに、トカゲのしっぽ切りして、自身は残るつもりなのでしょうか?!
そこで、気になったのはこちらです👇
1. フジ会長・日枝久のプロフィール(経歴)は?
2. フジ会長・日枝久が地位と権力を得た成功秘話(経緯)とは?
3. フジ会長・日枝久が辞任退任しない理由とは?
フジ会長・日枝久のプロフィール(経歴)は?
- 氏名: 日枝 久(ひえだ ひさし)
- 生年月日: 1937年12月31日(88歳)
- 出身地: 東京都
- 学歴: 早稲田大学教育学部卒業
- 経歴: フジテレビジョン入社、取締役社長、同社代表取締役会長兼CEO、株式会社フジテレビジョン代表取締役会長兼CEO、社団法人日本民間放送連盟会長、上野の森美術館館長などを歴任。旭日大綬章叙勲。
キャリアと功績
- フジテレビの黄金期を築く: 日枝氏が社長を務めた時期は、フジテレビが「お笑い太郎」や「クイズ!年の差なんて」などのヒット番組を生み出し、視聴率で他の民放局を圧倒した黄金期でした。
- フジサンケイグループの経営: フジテレビだけでなく、フジサンケイグループ全体の経営にも深く関わり、グループ全体の成長に貢献しました。
- 文化・芸術への貢献: テレビだけでなく、美術館の設立や、芸術作品の収集など、文化・芸術分野にも積極的に関わってきました。
人物像
- 情熱と行動力: 常に新しいことに挑戦し、常に時代の最先端を走ろうとする情熱を持っていました。
- リーダーシップ: 組織をまとめ、社員を鼓舞する卓越したリーダーシップを発揮しました。
- 文化への貢献: テレビだけでなく、文化・芸術分野にも積極的に関わっており、日本の文化の発展に貢献してきました。
華麗なる経歴ですね。
そんな日枝久氏でですが、決してフジグループの創業者一族ではありません。
一体、どのような成功を積み重ねて、現在の地位や権力を手に入れたのでしょうか?
成功秘話や経緯に迫ってみたいと思います👇
フジ会長・日枝久が地位と権力を得た成功秘話(経緯)とは?
フジ会長・日枝久は、現在の地位と権力をどのように得たのでしょうか?
こちらに時系列でまとめてみました👇
1961年
- 早稲田大学教育学部を卒業後、フジテレビに入社。(23歳)
1960年代後半
- 入社後、労働組合の結成に尽力。
- 当時、女性社員の25歳定年制の廃止など、労働条件改善を目指した。
- 労働組合書記長を務めたが、経営陣と対立し、出世コースから外れる。
1970年代
- スポーツ局や編成局など、複数の部署で経験を積む。
1980年
- 当時の副社長・鹿内春雄氏に抜擢され、最年少で編成局長に就任。(42歳)
- 若者向けの「軽チャー路線」を推進し、フジテレビの視聴率向上に貢献。
1983年
- 取締役編成局長に就任。(45歳)
1986年
- 常務取締役総合開発室担当を歴任。(48歳)
1988年
- 鹿内春雄氏の急逝後、フジテレビ社長に就任。(50歳)
*フジテレビの経営は、鹿内春雄氏の死後、鹿内家の後継者である鹿内宏明氏に引き継がれました。しかし、鹿内宏明氏の経営方針や、社内の状況など、様々な要因が重なり、日枝久氏が実質的な経営権を握ることになりました。
1992年
- グループ内でのクーデターを主導し、創業家である鹿内家を経営から排除。
- フジサンケイグループの実権を掌握。
2001年
- フジテレビ会長に就任。(63歳)
2008年
- 持株会社であるフジ・メディア・ホールディングスを設立。
2017年
- フジ・メディア・ホールディングス会長を退き、取締役相談役に就任。
- 現在もフジサンケイグループの代表として影響力を保持。
日枝氏が労働組合活動で一度は出世コースを外れるものの、その後の経験や成果で当時の副社長・鹿内春雄氏(写真👇)の信頼を得て、グループの中心人物として成長していった様子が分かります。
日枝久氏が鹿内春雄氏に気に入られ、後継者として抜擢されたのは、日枝氏の能力と人柄、そして鹿内氏の経営哲学が合致していたからと考えられます。
具体的にどのような点が鹿内氏に評価されたのか、残念ながら詳細な記録は残されていませんが、以下のような要素が考えられます。
- 実行力と成果: 日枝氏は、入社後から様々なプロジェクトで成果を上げ、その実行力を高く評価されたと考えられます。
- 新しいアイデア: 既存の枠にとらわれず、新しいアイデアを積極的に提案し、組織に活力を与えていた可能性があります。
- リーダーシップ: 組織をまとめ、人を動かす能力に長けていたと考えられます。
- 鹿内氏の経営哲学への共感: 鹿内氏の経営哲学に共感し、その理念を継承していく意欲を示していたと考えられます。
フジ会長・日枝久が辞任退任しない理由とは?
鹿内春雄氏は、フジテレビの大改革を推進し、日本のメディア業界に大きな影響を与えた人物です。彼は、新しいことに挑戦し、常に時代の先端を走ろうとする人物でした。日枝氏は、そのような鹿内氏の理念を理解し、共有していたと考えられます。
ただ、鹿内春雄氏が急逝し、直後は息子の鹿内宏明氏が後継者となったものの、日枝久氏自身が同氏を排除し、自身が社長に就任後、創業一族である鹿内家を経営から全排除したというのも、末恐ろしい話ですよね。
自身を大抜擢してくれた恩人の一族を排除するとは。。。
フジテレビの歴史が、乗っ取り乗っ取られであることが良く分かります。
ホリエモンこと堀江貴文氏による、敵対的買収もありましたからね。
このように歴史を学べば学ぶほど、日枝久氏がフジテレビグループから辞任するということは、なんとしても避けたい事態であるということが、非常に良く分かりました。
自身で奪い、築き上げてきた帝国を易々と譲りたくないという強い気持ちがあるのだろうと思います。
ですから、今回の騒動でもこれだけ世間が大きく騒ぎ立てても、日枝久氏自身は港浩一社長達をトカゲのしっぽ切りをしてでも、なんとしても現在のポストに残ろうとするのではないでしょうか?
仮に港浩一社長が辞任(退任)に追い込まれたとしても、日枝久氏の息がかかった人物に後継者として社長に就任することを切望するのではないでしょうか?
はたまた、最後は格好よく勇退されることを選択されるのでしょうか?
引き続き、目が離せませんね。
フジ会長・日枝久が辞任退任しない理由や成功経緯まとめ
1. フジ会長・日枝久のプロフィール(経歴)をまとめましたので、本文参照下さい。
2. フジ会長・日枝久が地位と権力を得た成功秘話(経緯)を時系列でまとめたので、本文参照下さい。フジテレビの凄まじい歴史が見えてきます。
3. フジ会長・日枝久が辞任退任しない理由は、創業一家を全て排除してまで自身の帝国を築き上げてきたので、易々と引き下がるわけにはいかない気持ちが非常に強いと思われる。
いかがだったでしょうか?
フジ会長・日枝久氏が辞任(退任)しない限り、株主も世論も納得しないように思いますが、果たしてどのような結論を出されるのでしょうか?!
引き続き、注目ですね。
それでは、最後までお付き合い頂きまして、ありがとうございました。
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