園まりの最期が立派すぎる!中尾ミエ&伊東ゆかりが語った三人娘・最後の絆とは?【徹子の部屋】

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昭和を彩った「三人娘」のひとり、園まりさんが2023年7月にこの世を去りました。

彼女の最期を見送った中尾ミエさんと伊東ゆかりさんが語った、三人の絆と感動的なエピソードとは?

今なお多くの人の心に響くその「生き様」に迫ります。

✔園まりさんが亡くなる直前に見せた「有終の美」とは?

✔再結成した「三人娘」…晩年も続いた3人の絆

✔伊東ゆかりさんと中尾ミエさんが見送った葬儀

✔ハナ肇さんの最期も「立派」だったと語る理由

興味のある方は一緒に確認していきましょう。

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園まりさんが亡くなる直前に見せた「有終の美」とは?

昭和を代表する歌手であり、「三人娘」としても一世を風靡した園まりさん。
その最期は、華やかな芸能生活とは対照的に、静かで、潔く、そして何より「美しい終わり方」だったと、多くの関係者の胸を打ちました。

彼女が亡くなる前に行ったのは、自宅の整理と持ち物のほぼ全処分。衣類や家具、思い出の品々まで、自らの手で“人生の後始末”を済ませていたのです。

その理由を知る中尾ミエさんは、テレビ番組の中でこう語っています。

「身辺整理をしっかりして、自分のことは自分でケリをつけた。あの人らしいなと思ったし、私も見習いたいと心から思った」

「誰にも迷惑をかけたくない」「自分の人生を自分で締めくくりたい」——
昭和を駆け抜けたスターの、最後まで他人を気遣い、凛とした姿勢はまさに“有終の美”。

「終活」や「人生の終い方」が注目される現代において、園まりさんの生き方・逝き方は、多くの人に深い示唆と勇気を与えてくれます。

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再結成した「三人娘」…晩年も続いた3人の絆

昭和の歌謡界において「三人娘」といえば、中尾ミエさん、伊東ゆかりさん、園まりさんの名前が真っ先に挙がります。デビュー当時から長きにわたり公私ともに親交を重ねてきた三人は、年齢を重ねてもなお、深い信頼関係と友情で結ばれていました。

2000年代に入り、彼女たちは「三人娘」としての活動を再びスタート。懐かしい名曲と軽快なトークで、再結成コンサートは各地で大きな反響を呼びました。
ただの同窓会ではなく、三人でステージに立つことに意味があったのです。

中尾ミエさんは、番組の中で当時のことを次のように振り返っています。

「若い頃よりも、むしろ今の方が心が通じてた気がする。あうんの呼吸ってこういうことなんだなって」

また、最後に園まりさんと顔を合わせたのは、数年前のリハーサルの場だったそうです。
当時、すでに体調には不安を抱えていたものの、園さんは弱音を吐かず、いつも通りに立ち振る舞っていたといいます。

「『またみんなで歌いたいね』って笑ってた。…でも、まりちゃん、分かってたのかもしれないね」

言葉少なに交わされる会話の中にも、長年積み重ねてきた絆がにじんでいました。
「三人娘」は、時代の象徴としてだけでなく、人と人との深い絆の象徴でもあったのです。

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伊東ゆかりさんと中尾ミエさんが見送った葬儀

2023年7月、園まりさんが静かにこの世を去りました。
その訃報を受けて、多くの関係者やファンが驚きと悲しみに包まれる中、最期を見届けたのは、長年の盟友である中尾ミエさんと伊東ゆかりさんでした。

葬儀はごく限られた身内と親しい友人のみで執り行われ、派手な演出もなければ、芸能人らしい“豪華さ”もありませんでした。
しかし、そこには園まりさんの「静かに、美しく去りたい」という意志がはっきりと表れていたと言います。

中尾ミエさんは番組内で、当日の様子を振り返りながらこう語りました。

「お花も控えめで、音楽も静かで、本当に“まりちゃんらしい”葬儀だった。最後まで立派だったよ、って思わず声に出しちゃった」

伊東ゆかりさんも、静かに涙をぬぐいながら、

「まりちゃんのことを思うと、胸がいっぱいになる。でもね、本当にね、きれいな顔してたの。穏やかな、いい顔だったよ」

と語り、言葉を詰まらせる場面もありました。

昭和という時代をともに駆け抜け、同じステージで笑い合い、年を重ねてもなお心を通わせてきた三人。
その絆は、“最期の見送り”という場面においても揺らぐことなく続いていたのです。

静かであたたかく、凛としたその葬儀は、参列した誰もが「まりちゃん、あなたらしい」と感じるものだったに違いありません。

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ハナ肇さんの最期も「立派」だったと語る理由

園まりさんの有終の美を讃える中尾ミエさんが、番組の中でふと名前を挙げたのが、ハナ肇さんでした。
昭和の喜劇王として知られ、芸能界でも一目置かれる存在だった彼の最期にもまた、「見事」という言葉がふさわしいと語られています。

「あの人も、立派だったのよ。人に甘えることなく、最後まで“笑わせる人”であり続けた。後輩にも背中を見せて逝ったのよ」

中尾さんにとって、ハナ肇さんは若い頃から所属していた事務所の大先輩。
叱られたこともあれば、現場で何気なくもらった一言が今でも心に残っているというエピソードも。
そして、晩年の姿からは、生き方も含めた“芸人の覚悟”を感じたといいます。

番組では、当時の貴重な映像も放送され、ハナ肇さんが亡くなる直前まで周囲に気を遣いながら、笑いを絶やさずに生きていた様子が紹介されました。

「まりちゃんといい、ハナさんといい…やっぱり“かっこよく生きる人”って、最期までブレないのね。あたしもそうありたいって思う」

中尾さんのこの言葉には、芸能人という枠を超えた人としての“終い方”への尊敬が込められていました。

昭和という時代を知る人たちにとって、その生き様と去り際の美しさは、今の時代にこそ学ぶべき“人生のヒント”なのかもしれません。

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【まとめ】園まりさんが教えてくれた「最期の美学」

✔園まりさんが亡くなる直前に見せた「有終の美」とは?
➡園まりさんは最後までステージに立ち続け、その凛とした姿で「有終の美」を体現しました。

✔再結成した「三人娘」…晩年も続いた3人の絆
➡三人娘は再結成後も変わらぬ友情で結ばれ、晩年まで支え合う深い絆を見せました。

✔伊東ゆかりさんと中尾ミエさんが見送った葬儀
➡伊東ゆかりさんと中尾ミエさんは、園まりさんの最後を惜しみながら心を込めて見送りました。

✔ハナ肇さんの最期も「立派」だったと語る理由
➡ハナ肇さんは人に頼らず、自らの覚悟を持って最後まで笑いを絶やさずに貫いた姿が「立派」だと称えられています。

いかがだったでしょうか?

皆さんは、どんな“終い方”をしたいですか?

人生、いつ終わりを迎えるか分からないので、毎日全力で生きる必要があるなと改めて考えさせられました。

それでは、最後までお付き合い頂きまして、ありがとうございました。

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